少年シニア 55歳から味わう国語

50半ばから人生を味わうために国語力アップを目指す記録・顛末

言葉の難しさについて(その一言が余計ですより)

その一言が余計です。: 日本語の「正しさ」を問う (ちくま新書)    著者 山田敏弘 2013年5月刊 筑摩書房       

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 これは他人事ではないテーマです。私もよく人に「要らんこといい」といわれますので。私の場合、沈黙に耐えかねてつい軽口に言わなくてもいいことを言ったり、売り言葉に買い言葉で必要以上に反論してしまうことが多いです。ただ、こちらに全く自覚がないのに相手を怒らせている場合もあるようで、結構やっかいな問題だったりします。

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 自分の事は完全に棚にあげて言えば、一番嫌なタイプは「正論を吐く毒舌家」と「慇懃無礼な嫌味なタイプ」で、このタイプは必ず余計な一言を発しますね。

本書であがっているのは、こんな余計な一言。

 

「まあ 頑張ってください」

言外にどうせ駄目だろうというニュアンス。不十分を意味する「まあ」が余計。

「行ければ行くけど」

〜けどという終わり方で、敢えてはっきりさせずに相手は困る。

「〜よね」「〜よ」「〜ぞ」

上記の助詞で終わると場合によっては馴れ馴れしい。偉そう。押しつけがましい

「〜でいいです」

  なんか上から目線で態度がはっきりしない。

 

 この他、相手の話にすぐ「でも」「ただ」と反論の接続詞を使って相手の意見を受け止めようとしなかったり、相手がもっとしゃべりたがっているのに「ところで」と言って話の腰を折ったり、「つまりこういうことでしょ」とか言って話をまとめようとするようなことが、相手にとって余計な一言になる事例などが挙げられています。皆あるあるですね。

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 ただ本書は、余計な一言に留意して言い換えることは重要だが、時に余計な一言への糾弾が言葉狩りになっていしまってもいけないと主張しています。近年よく指摘されるコンビニ言葉なども、お客さんに敬意を示したり、断定を避け少し柔らかい表現にしようとして、少々不自然な言葉になっているだけで、そう目くじらを立てるほどのことであろうかと言うわけです。

この点は、私も筆者と同意見で、言葉は確かに大切ではあるけれど、もっと大切なのは、その言葉を発する人の心のありようで、直接話をしている場合は、そこに誠意が感じられれば、殆ど問題がないということなんだと思います。

常に形から入る人というのは、その事実によって相手を追い込む場合もあり、時にそういう人は、形は見えないけれど重要なことに対しては、全く無頓着でデリカシーのない人が見受けられます。

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 あと本書を読んで思ったこととしては、「余計な一言」もまずいけれど、相手に対して沈黙を通すとか素っ気なく振る舞うことで、関係性を壊してしまっている方が問題なのではないかという気もします。余計な一言の本意を確認してから態度を決めるという心の余裕さも大切なのではないでしょうか。

ああコミュニケーションはむずかしい!!