少年シニア 55歳から味わう国語

50半ばから人生を味わうために国語力アップを目指す記録・顛末

名作鑑賞  郷愁の詩人 与謝蕪村                            (萩原朔太郎)

 

郷愁の詩人 与謝蕪村 (岩波文庫)   著者 萩原朔太郎 1988年11月刊 岩波書店

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 著者 萩原朔太郎は、大正・昭和にかけて人間の孤独と憂鬱を、ときに激しくときに柔らかな文章で表現した詩人です。朔太郎は俳句嫌いだったようですが、唯一蕪村の俳句だけは愛読したといいます。浪漫的な青春性に自身との共通性を見出し、世間から正しく理解されていない蕪村の句の真髄を、自らの手によってあきらかにしようとしたのが、本書です。

  君あしたに去りぬ

  ゆうべの心千々に何ぞ遥かなる

  君を思うて岡の辺に行きつ遊ぶ

  岡の辺なんぞかく悲しき

  まず、朔太郎はこの蕪村の詩をとりあげ、作者の名を隠してこれを明治の新体詩人の作者といっても人は決して怪しまないであろうと語り、蕪村の近代性を称賛したうえで、本論にはいっていきます。

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 朔太郎は正岡子規が蕪村を評価しながらも「写生・客観の俳人」ととらえていたことに、大きな違和感を感じていました。すべての客観主義的芸術とは、智慧を止揚したところの主観的表現にほかならず、およそ主観のない芸術はありえないと朔太郎は主張し、その客観表現の背後にある蕪村のポエジーに気付いていないことに苛立ちを隠しませんでした。そのことをただ一人理解しているのは我のみであるという気負いすら感じさせ、俳聖芭蕉と対比しながら蕪村の真髄をひとつひとつあげていきます。

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 朔太郎は芭蕉の句を 芸術としての若さを持ちながら、「老」の静的な美を募った俳人と評価します。これに対して蕪村は、彼のあらゆる絵具箱から、すべての花やかな絵具を使って、感情多き青春の情緒を述べ、印象強く色彩の鮮やかな絵を描く感情豊かな俳人として蕪村を評価し、一面的な技巧的・印象的・客観的という見方を拒絶します。また芭蕉が秋・冬の詩人なのに対し蕪村は春・夏の詩人という枠にはまった見方にも組せず.蕪村の真髄は冬の句にあるとさえいいます。このあたりが芸術家が芸術家を評価する面での複雑さがあらわれていると感じます。  

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 私自身、蕪村の句の特徴は、広大なる自然と小さな生命の対比を通して、宇宙の深遠さを表現するところにあると思います。「菜の花や 月は東に 日は西に」など、その代表的なものでしょうか。

この句も見事に大自然と小さな生命を対比させて宇宙を表現しています。

 

  羽蟻飛ぶや 富士の裾野の 小家より

 

 朔太郎のこの句の解説です。

広茫たる平原の向こうに、地平をぬいて富士が見える。その山麓の小家の周囲を、夏の羽蟻が飛んでいるのである。高原地方のアトモスフィァを、これほど鮮明に、印象強く、しかもパノラマ的展望で書いた俳句は外にない。

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 これは私見ですが、蕪村も芭蕉も大いなる自然と小さな生命の双方をを描きながら、蕪村の方は自然に比重をおき、芭蕉は生命の方に比重をおいている気がします。蕪村は、絵画の世界を通して生命は自然の一部であることを深く理解していたように思えます。自然の一部であることを自覚した生命こそが、最も美しい存在であるという蕪村の認識が、朔太郎の詩情をも動かしたのではないでしょうか。