少年シニア 55歳から味わう国語

50半ばから人生を味わうために国語力アップを目指す記録・顛末

名作鑑賞 ヘッセ詩集(高橋健二訳)

 

ヘッセ詩集 (新潮文庫)    著者ヘッセ  訳者 高橋健二 1950年12月刊 新潮社 

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 貪るようにヘッセを詠んだ時期がありました。30歳半ば、人生の方向性が見えず、焦燥感にかられていた時期です。そんなときに「郷愁」を読みました。すーと心が解放され何ともいえぬ安堵感が私の身体を包み込みました。それから私はヘッセの虜になりました。ヘッセの作品の魅力は何でしょうか。私は、「苦悩と歓喜」「諦観と希望」「不安と自尊」 こうした対立した概念がヘッセの手にかかるとひとつのものに溶けあい何の違和感もなく目の前に提示されるところにあると思います。そして恐らくヘッセ自身が、この矛盾した概念を身体の中に宿していたと感じます。

例えば詩集の中に掲載されている「いずれも同じ」というタイトルのこんな詩。

 

 若い時代を通じ     私は快楽を追った。

 そしてその後は陰鬱にとざされ、    悩みと痛みとにひたった。

 

 苦痛と快楽は、    今は私にとって全く兄弟同士になり、    溶け合っている。

 喜びを与えるにせよ、    悲しみを与えるにせよ、

 二つは一つに        からみ合っている。

 

 神さまが        私を地獄の叫びに        導くにせよ、

 太陽の御空に        導くにせよ、

 私にとっては、    いずれも同じことだ。

 神様の御手を        感じることさえできれば。

 

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 ヘッセは、少年の頃からひたすら詩人になりたいと願ったと言います。詩人になるのでなければ、何にもなりたくないと思い、その道を貫きました。ヘッセは優れた小説を多く書き、それでノーベル賞もとりましたが、私は彼を小説家と呼ぶことにいささか躊躇します。ヘッセの小説は私には長い叙事詩に思えるからです。ヘッセの作品は、小説が詩であり、詩が評論であり、評論が小説であり、混在となって私の前にあらわれます。苦悩や歓喜や平常心が混在となってあらわれるように。

例えば「書物」という詩ですが、もうこれだけで立派な読書論になっていると私には感じます。

 

  この世のあらゆる書物も     おまえに幸福をもたらしはしない。

 だが書物はひそかに     おまえをおまえ自身の中に 立ち帰らせる。

 

 おまえ自身の中に、    おまえの必要とする 一切がある。

 太陽も、    星も、    月も。

 おまえのたずねた光は

 おまえ自身の中に  宿っているのだから。

 

 おまえが長い間  万巻の本の中に求めた知恵は

 今どのページからも  光っている、

 それは  おまえのものなのだから

 

 ヘッセは死ぬまで少年のような心をもち続けて生き抜いてきた人だと思います。また苦悩から逃げず苦悩に身を任せることで、幸福というドグマからとき放たれて心の平静を獲得した熟練さを備えた人でもありました。今後も道に迷いかけたときには、ヘッセに道を尋ねたいと思います。