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少年シニア 55歳から味わう国語

50半ばから人生を味わうために国語力アップを目指す記録・顛末

少年文庫№4 「五月三十五日」   (ケストナー)

少年文庫

 

五月三十五日 ケストナー少年文学全集(5) 著者 エーリヒ・ケストナー 訳者 高橋健二 1962年6月刊 岩波書店

 

 少年文庫は、前回に引き続きケストナーです。五月三十五日なんて人を喰った表題からして期待をもたせますね。ケストナーの作品はユーモラスな中にも結構ストーリー自体は現実に根差したものが多いのですが、本書は、完全に空想ものです。もちろんおふざけだけのナンセンス小説ではなく、ケストナーの主張がきっちりとちりばめられていて、読後感は相変わらず爽快です。

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 主な登場人物は、少年コンラートとその叔父で薬剤師のリンゲルフート、そしてサーカスから暇を出されて今は失業中の馬のネグロ・カバロ。この2人と1頭が、南洋の島を目指して旅に出るという話です。5月35日木曜日、少年コンラートは何故か算数ができるので空想力に欠けるというわけのわからない理由で、先生から南洋についての作文の宿題を課されます。そこで空想好きの叔父リンゲルフートが南洋に実際に出かけようと発案したところ、人と会話できる馬のカバロが、古いタンスの中にはいればそのまま南洋に着くといいだし、実際に旅が始まります。「どこでもドア」を発明したのは、藤子不二雄ではなくケストナーだったのかも知れません。

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 旅は始まったのですが、すぐには南洋にはつきません。途中で「体重が125㌔以下だと追放されるナマケモノの国」「過去の英雄が戦争ごっこをしている偉大な過去の城」「子供ではなく子供にひどいことをしている大人が厳しく教育される逆さの国」や「生活に必要なものは全て機械がやってくれる電気都市」での珍道中を経て、ようやく南洋の島にたどりつきます。南洋の島では意外にも、これまで通ってきたところと比べると普通の様子です。赤道を磨いている女の人以外は(笑)

このことから南洋での出来事がメインではなく、それまでに至る道程がメインであることがわかります。人生や旅は到達点が大切なのではなく、そこに至る過程が大切だということをいいたいのかも知れません。

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 まあとにかくケストナーの発想の凄さにびっくりするのですが、本書でケストナーが言いたかったことはやはり「こどもの視点で物事を観る」ということに尽きると思います。本書に登場するそれが出来ない大人の滑稽な姿を通して、子供と大人のあるべき姿をケストナーは読者に問いかけているのです。こどもがこどもらしさを保持するためには、リンゲルフート叔父さんのような、少年の心根を残しこどもを理解しようとする柔らかな大人、そして南洋のようなありのままの自然や動物たち必要だということでしょう。

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 本書には、この小説のあとに詩や警句なども掲載されていますが、最後にケストナーらしいなーと思う文を二つ抜粋します。

・意地悪な醜い大人だって、子どもの時は非のうちどころがないくらいだった

・よいことなんて、世の中にはない。よいことをおこなうことがあるだけだ。

 

 

 

創作詩  一個の人間

創作作品

 

 一個の人間

 

  打てば響くこともあれば そうでないこともある

  それが人間だ。

  もし、響かないことを咎めるとしたら

  それは、まったく人間的ではない

 

  いつも打てば響く者は、時勢の流れによって

  戦争を支持もすれば 組織のために間違ったこともするだろう

  そんなことはご免こうむりたい

 

  自分の内なる良心や意志によって

  響くときは響くし

  響かぬときは響かない

  それが一個の人間というものではないか

 

 

 

 

辞書を読む(新明解国語辞典)

国語力アップ

  

新明解国語辞典 第6版 並版

 

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  井上ひさし氏は、著書「作文教室」で、作文を書こうとする者は、常に辞書を携帯しなければならないと説きます。また童門冬二氏は、著書「50歳からの勉強法」で、独自の学習法として辞書を毎日読むことをあげています。そして先日、亡くなった赤瀬原平氏三省堂の「新明解国語辞典」を高く評価していたと読売新聞の編集手帳が伝えています。赤瀬川氏は、新明解の言葉の定義の鋭さとウィットに舌を巻いており、その一例として「読書」ということばの例が紹介されているのですが、確かにこれは言い得て妙な説明でした。

 

読 書)

研究調査や受験勉強と違って、一時現実の世界を離れ、精神を未知の世界に遊ばせたり、人生観を確固不動のものたらしめたりするために、時間の束縛を受けることなく本を読むこと。寝っ転がって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、勝義での読書には含まれない。

 

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    私はこの意味に100%賛成する者ではありません。私は、読み手が書き手とあたかも対話しているかの如くに感じれる場合を読書と考えている者で、寝っ転がって読もうが、漫画だろうが対話を促すのであれば読書だと思っています。また人は現実の世界を離れるためだけではなく、現実の世界でよりよく生きるために書を読むのも読書だと思います。

しかし、その上でこの新明解辞典の読書の説明は、編纂者の矜持が感じられ実に魅力的です。「読書」以外の言葉も少し見てみましょう。

恐妻家)

 妻の発言力が強く、何かにつけて、いつもその言いなりになっている夫。

(愛妻)

 かけがえのない伴侶として末永く連れ添えることを願っている(自分の)妻

 

恐妻家についてはポイントは「何かにつけて」ですね。この全面的な敗北感が恐妻家の哀しさを表現していると思いますね。愛妻のポイントは「末永く連れ添えることを願っている」ですね。実に男のけなげな心根を表現しています。

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 辞書を読むと、言葉のもつ微妙なニュアンスについての理解が深まります。辞書は、必要が生じたときに引くという消極的活用から、必要が生じなくとも、こちらから言葉に肉薄してみるという積極的活用にシフトすることで、言葉と友達になれるかも知れません。

 

 

少年文庫№3 小さな男の子の旅 (ケストナー)

少年文庫

小さな男の子の旅―ケストナー短編 (ショート・ストーリーズ)   著者 Eケストナー 訳者 榊直子 1996年1月 小峰書店

        

 ケストナーというと「飛ぶ教室」や「エーミールと探偵たち」が有名ですが、こちらの短編は、まだケストナーが児童作家としての地位を確立する前の作品です。ケストナーは「甘ったるいだけの児童向けの小説は書かない」という考えの持ち主ですが、本書に掲載された二編も、厳しい現実をベースとした中で、必死に逞しく生きる子供の生命力を描いています。

          ♢   ♢   ♢   ♢   ♢

 表題の「小さな男の子の旅」は、主人公のフリッツが遠く腫瘍の手術のため入院しているお母さんに会いやってくるという話です。病院から治療費の請求がきて本来は地元の郵便局から支払うところを、そのお金をもったままお母さんのことが心配で汽車に乗ってやってきてしまいます。もちろんお父さんには内緒です。でも無邪気なところのあるフリッツはこの旅を楽しむかのように、この旅の目的を経緯を駅長さんや病院行きのバスの乗客たちに話します。事情を知った大人たちは何かれと温かくフリッツの世話をして、無事病院にたどりつくことができました。

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 しかし、お母さんの病状は、フリッツの思っていた以上に悪かったようです。眠っているお母さんの顔は黒ずんで光っています。こめかみは落ち窪み青白い額にはむらさきの血管がいくすじも出ています。母に会う前の無邪気さんはすっかり消え、フリッツは待合室で泣き崩れます。それを見守る担当の医者と看護婦。母親の死を暗示するような文章もあり、結末は示されないまま、ここでこの話は終わります。

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 ケストナーの作品には、子ども受けを狙って、正しい子供、意地悪な大人というような単純な設定は決してしません。また、主人公は必死に厳しい現実に立ち向かおうとしますし、周りの大人たちもそんな子供たちをサポートします。でもだからと言ってハッピーエンドで終わるとは限りません。厳しい現実をあるがままに、子どもの視点でたんたんと描いていくのが、ケストナーの作品の特長です。同じく本書に掲載されている「おかあさんが二人」も、母親を亡くした8歳の少女マーレーネの厳しい現実の話です。

          ♡   ♡   ♡   ♡   ♡

 ケストナーは子どもの時代は決して牧歌的な無邪気な時期ではないと考えています。そして厳しい状況の中で、ストレートにその悲しみを表現することもできない子どもたちが大勢いることをよく知っています。だからこそケストナーは徹底的にこどもの立場にたって筆を進めていきます。この姿勢が、このような小作品であっても、深い感動と余韻を与えています。

以前、本ブログで 自由主義者林語堂の「現実+理想+ユーモア=叡智」という公式を紹介しましたが、ケストナーこそが、この公式にぴたりと当てはまる作家だと思います。ケストナーが生きた時代はナチスが台頭した時代でしたが、この叡智により出版禁止の憂き目にあいながらも粘り強く筆をとり児童作家としての地位を不動のものにしていきます。最後にケストナーがよく言った言葉を紹介します。

「子供の頃のことを忘れるな」

 

   

 

 

 

 

 

創作句 特別のビール

創作作品

 

 こんな日も   あり特別の   ビール飲む

 

 人生には特別の日がある

 息子の通信制高校の卒業式

 酸いも甘いも知った校長さんの祝辞

 嬉しかったこと つらかったこと

 すべて隠し立てすることなく涙ながらに語った卒業生代表の答辞 

 そして息子が一礼して卒業証書を受け取った瞬間

 様々な想いや過去の出来事が胸をかけめぐった

 晴れの日にしめっぽいのはよくない

 じっとがまんして家に帰った

 ビールの栓をぬいてグラスに注ぐ

 ゆっくりゆっくり噛みしめるように飲んだ特別のビール

 こんなうまいビールを飲んだことは今までない

 あれからもう10年もたったんだな

作文はまず観察から(井上ひさしの作文教室より)

国語力アップ

井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫) 

  編者 井上ひさしほか文学の蔵 2004年1月刊 新潮社

 

   前回のブログでSF作家の博学ぶりについて述べましたが、井上ひさし氏の博学ぶりも半端じゃありません。それに何といっても眼のつけどころが鋭いし、ユーモアがある。熱烈な井上信者がいるのもうなずけます。本書は、1996年11月に岩手県一関市で開かれた「作文教室」の講義を書籍化したものです。なるほどと思ったことを列挙してみます。 

作文の秘訣を一言でいえば、自分にしか書けないことを、誰にでもわかりやすい文章で書くこと

この「自分しか書けない」というのが実に難しいのです。まずは自分の体験や自分が大切にしてる点を明確に打ち出すことから始めたいと思います。                                                  

題名をつけるということで3分の1以上は書いたということになる

 題名は安易につけてはいけないけれど、奇をてらったのも駄目ですね。本文の中心核をシャープに表現することを心がけます。

段落とは簡単に言うと、あるひとつの考え方のひとまとまりである

適切な段落わけがされていると、起承転結がよりわかりやすく伝わると思います。

いきなり核心から入ることが大事なんです。

文末にポイントがある日本語だからこそ、もったいぶらず、ずばっと一番伝えたいことを最初に書く。その方が読者も安心してその後の読めますし、理解もしやすいでしょう。

あまり主語を立てると、日本文の場合、ごつごつした感じになります

これも日本語の特長(話し言葉では特に)ですね.主語を立てなくても、前後の文章で主語が推定できるような工夫も必要ですね。ちなみに自分を指す人称代名詞も、ほとんどの場合全部、削ったほうがいいとのことです。

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 本書は、このような技術論だけでなく、日本語の特長や、国語教育・思想にまで話が広がっています。これこそが井上ひさし流といえます。例えば日本語には1人称や2人称についてはおびただしい数の語彙の人称代名詞があるのに、3人称のそれは殆どない。これは我々の祖先は3人称を必要としていなかったのではないかと井上氏は推論しています。あるカテゴリーの語彙の数は、使い手の関心の強さと比例することは確か(例えば日本では雨を表現する語彙が大変多い)。身内意識の強い日本人は1人称・2人称は、様々な状況に応じて使い分けをしているのに比べ、外にいると感じる者には、彼・彼女ですませるのかもしれません。

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 あと興味深かったのは、子どもの国語教育は、感想や意見を無理に書かせるのではなく、観察する・要約する・報告する,そういう文章をうんと書かせることが大切だと指摘している点です。これはうなずけますね。新聞記者の文章が上手なのは、じっくり事実をみつめ、それを限られた字数で要約し記事にする作業を繰り返しているからだと思います。まず良い文章を書こうとするなら、しっかり観察することから始めること。これに尽きると思いました。

少年文庫№2海底二万里(ヴエルヌ)

名作鑑賞 少年文庫

 

海底二万里 (上) (岩波少年文庫(572))【著者】ジュール・ヴェルヌ 訳者 私市保彦 2005年8月刊 岩波書店

 

 SFを読んでいつも驚かされるのは、SF作家の凄まじいほどの好奇心と知識です。例えば国内だと、「日本沈没」や「復活の日で有名な小松左京ショートショート星新一。海外ではAアシモフやHGウエルズ、そして取り分け凄いのが、本書の著者であるJヴエルヌです。「80日間世界一周」「地底旅行」「月世界旅行」「海底二万里」と考えうる冒険の場をすべて題材にして、空想力豊かな冒険小説に仕立てあげてしまいました。

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   19世紀半ばに英国で出版された「海底二万里」は、家にいながら海底の神秘を疑似体験できる教養SF冒険小説です。こちらは少年少女向けに執筆されたとは思えないくらい科学知識をベースとした解説が文中に施されているのは驚きです。とりわけ本書の航海の母体となる「ノーチラス号」の各設備や、海中の様々な生物についての記述はかなりマニアチックなもので、読者である少年少女は、どきどきしながら読み進めていくうちに、理科の知識も身に着けることができる仕掛けになっています。

そして本書を、単なる海底散策の冒険物語ではない厚みのある作品にしている最大の要因が、ノーチラス号のネモ船長の圧倒的な存在感です。

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 世界中の海洋の異変の解決をはかるべく調査に出て捕らわれたアロナックス博士の言を借りれば、ネモは、誇りにあふれ、冷静な視線と高潔な心をもち、体のしぐさと顔つきが一体化した人物で、人相学者の観察によれば、これは文句なしの率直さから生まれているものだそうです。

ネモは機械工学にも長けノーチラス号も自らが設計し製造を指揮しました。また艦内には、なんと莫大な数の蔵書は納められた図書館や、博物館があるというのです。科学・哲学・芸術全般に通じて精通している教養人でもあり,文系理系の枠を超えたスーパーマン。それがネモなのです。

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しかし、このネモは、社会の規則なるものを憎悪し、不愉快極まる事情のため、人間との縁をきった男でした。そしてその興味を海中に求め、こう言うのです。

海の息吹は清らかで健康的です。(中略)海は独裁者のものではありません。海上ではいまだ不当な権利を乱用し、そこで争いあいむさぼりあい、すべての地上の恐怖を海上に運び込んでいますが・・・

 ネモは、経済至上主義で弱肉強食の当時の世界を毛嫌いしており、それに絶望して地上の支配の届かない海中に理想を打ち立てようとしていたのです。

実はノーチラス号は日本の南からスタートをして南太平洋→インド洋→紅海→地中海→南極→大西洋の経路をとるのですが、なぜスタートが日本だったでしょうか。私は実はネモが日本人なのではと密かに考え、それであれば面白いなと思いました。しかし、実際はインド人の元王子だったことが、別の小説「神秘の島」で明らかにされます。

いずれにしても優れた文明批評と科学知識の面白さを少年少女に伝えた本書は、大人にとってもに欠かせない本だと思います。